• 竹村太佑

禅とICT


スティーブ・ジョブスがAppleに持ち込み、Google、facebookへと拡がった「禅」。 「侘び寂び」「知足」の心が、ハイテク企業に何をもたらしたのか。 Googleで実施された社内カリキュラムの瞑想講座「自己探索」は、感情をコントロールする方法を知り、それをビジネスに活かすことが目的でした。モノを扱うエンジニアたちが心の目を開くことで、自分と会社、社会とのあり方、提供する製品やサービスについて深く考えることになり、「禅」が与えるより高い人生観が広く知られ、社内には歩行瞑想のための迷路まで作られることに。 如何なる宗教も、その原点はヒトとしての生き方であり、社会や世界の成り立ち、そしてその中での自己の存在を止観することにある。精神を集中し、心を静寂にする「止」と、対象をありのままに感じる「観」。 禅の公案(問答)に「風になびく旗を見て、ひとりの僧が『旗が動く』と云うと、もう独りの僧が『風が動く』と云う。そこに『旗でも無く、風でも無く、あなた方の心が動いたからだ』と云う人が現れ、ふたりはヒャッとした」とあります。 「禅」は「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」を根本とし、「文字や言葉には真実は無く(どうとでも解釈できてしまう)、文字を立てず、心から心に直接伝達されることで、自ら悟るものである」としている。 明治からこの方、Educationは「教育」と訳されますが、原語(ラテン語)からはe(外へ)duco(導く)tion(動作)であり、直接的な訳とすれば開智と云える。教え育むことにはさらに深い愛情も含まれるのでしょう。「やって見せ、云って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」 (山本五十六)は、教育の真髄なのかもしれません。 ハイテクであるICT(情報・通信技術)は、確立された技術(テクノロジ)と、その使い方(プロトコル)があり、これに従ってエンジニアたちは様々な製品やサービス(システム)を構築していきます。当然ながら、技術とその使い方は文字・言葉で伝えられ、それを利用するエンジニアの考えた次第で技術は様々な使われ方をします。よって3Dプリンタでピストルや原子爆弾を作成することもできます。 テクノロジは根本(仏)であり、それを伝える教典(法)があり、システムを造るエンジニアやその利用者に「如何に使うべきか」を正しく伝える指導者(僧)が必要。 オフィスのICT化に必要なのは、正しい使い方を教えてくれる指導者。 如何なる会社にも税務があり、その指導者である税理士にこれを委ねます。ならば、ICTにも税理士のように社外の指導者がいてもよいはずなのですが、残念ながら免許的資格が確立されていません。ならば、税理士がその指導者を見いだし、連携するようなサービスが生まれてもよい時代なのでは、と私は思います。

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竹村太佑(経営・情報戦略アドバイザー)

http://prof.kobe-city.jp/

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