- 竹村太佑
デジタル墓場

日本語のfacebook利用開始から11年、友人の死をFacebookで知ることがある。
しかし、本人のアカウントはそのまま。
今世紀半ばには「Facebookには必然的に逝去してしまったユーザー数が多くなる」と結論づける論文。そして100年後には約50億人が逝去ユーザー。逝去したユーザーのデータはどうなるのか。故人のデータ、とりわけ地理情報含めた個人の活動履歴は誰のモノなのか。
自身のこととして考えれば、「終活」としてパソコンやSNS上のインターネット情報整理、家族によって知人に死亡メッセージを自動配信もできないことは無い。当然ながら既にサービスとしてある。
さらには、ネット上に「サイバーお墓」となるメモリアルスペースが開設され、アクセスが許された家族や友人は、利用者の生前の画像やメッセージを閲覧できるほか、追悼文などのコメントを記載できる。
思い出はあの世へ持って行くしかなかった時代から、今では残し公開可能な時代に。
「情報は生モノ」と云われるが、統計情報(ビッグデータ)として過去のの情報も価値はある。インターネット利用開始からもうすぐ四半世紀。ネット上には膨大な情報があり、日々増大。自分が記録、発信した情報がいつか消えていくのか、それとも永遠に残っているモノ(検索対象)なのか。 価値ある情報は残るのかもしれないとしても、情報そのものにそもそも価値は無い。発信した媒体の価値(信頼としてのリンク関係)であり、それが検索上位化の根拠となっている。
今年発足ながら未だ認知度の低い情報銀行。個人情報も資産とした考え方、お金同様「相続」もあるのか。
情報とその価値について、まだまだ認知されていない21世紀初頭。
竹村太佑(経営・情報戦略アドバイザー)
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